台北ヘヴン/台北日誌
CONTENTS HOME / 台北日誌 / 台北漫遊記 / ニヤリ北京語 CONTENTS |
| [←Prev] [Backnumber] [Next→] |
台北生活の体験日誌

#016-020 |
| #016:台湾大震災から1年(その6-買出し)[27/Sep/2000] |
買出しに走る
詳細は不明だが緊急事態であることは把握出来た。当面の水は確保したし、知人への連絡も無事済んだ。次にすべきことは食料の確保と灯の確保。僕らは買出しに走ることにした。
多くの商店は閉鎖しているもののコンビニは営業をしていた。店内に入るとまず目の前が真っ暗になった、電気がこないためロウソクの灯りが店内のあちこちに点されているのだが、やはり明るさが足りない。次第に目が慣れてくると、普段棚一杯になっている食料が残りわずかになっているのが分かった。その中からカップラーメンやパン、お菓子などを買い込んだが、懐中電灯に入れる電池は既に売り切れていた。他に灯りを得る手段としては、店内を見渡せばロウソクであることは一目瞭然だったので、ロウソクを一箱(最後の一箱だった)購入した。昨晩不安になった暗闇を解消するために、十分な灯り(ロウソク)を確保しておきたかった僕らはこのあとコンビニ巡りをすることになったが、みんな考えることは一緒なようで売り切れていた。あきらめ半分に静かな街を散策していたときに雑貨店を発見した僕らは、藁にもすがる思いで飛び込んだ。幸いなことにロウソクの在庫があり、購入することが出来た。本日の買出し成果は上々となった。
不安を取り除く⇒安心
人間とは不思議なもので、考えられる不安要素が無くなることで安心を得ることが分かった。災害の時に重要なのは、冷静に不安要素を取り除くことだ。
|
| #017:台湾大震災から1年(その7-2度目の夜〜電気復活)[28/Sep/2000] |
何と!屋台は通常営業
しだいに辺りは暗くなり始めていた。買い込んだ食糧とロウソクを手に帰宅の途についていた時に、ビックリする光景に遭遇した。小吃の屋台が営業をしていたのである。こんな緊急事態でほとんどの店が閉まっているというのに、いつもと同じ場所に何事もなかったようにアツアツの小吃があることに仰天した。中を覗いてみると、かなり繁盛したようで残り少なくなっていた。今夜はカップラーメンと決め込んでいた僕らはその中から鍋貼(ごうてぃえ:焼ぎょうざ)を買うことにした。
震災直後にもかかわらず、コンビニや屋台といったありきたりの日常を垣間見て"台湾もなかなかやるじゃん!"と感じた。
ロウソクの灯り
帰宅すると家の中はもっと暗かった。僕らは2本のロウソクを取り出して、灯りをともした。ビンボー臭い感じかなあー(不謹慎ですが)との予想とは反対に、いつもとは違っておしゃれなバーや居酒屋さんといった雰囲気が出ていたのは不思議だった。あつあつの鍋貼(ごうてぃえ:焼ぎょうざ)をほうばりながら、僕らはいろんな話をした。当然のようにテレビを付けてビールを飲みながらいつのまにか寝てしまう日常とは違って新鮮だった。
あらためて無事だったこと、地震とは関係ないたわいもないこと、中国語の勉強....などなど、充実した時間を過ごした。
そして‥‥電力復活!!!
辺りはロウソクの灯りを除き、暗闇になっていた。初めて分かったことだが30cm程度のロウソクで約5時間灯りがともせることが分かった。想像以上の持続時間だった。充実した会話も一段落となり、窓際で外を眺めた。すると、北西の方向にあるビルに灯りを確認することが出来た。その白っぽい光はロウソクのものではなく蛍光灯であることはあきらかだった。我が家も電力が回復するかもしれないという期待が生まれてきた。しかし静かに待ってみても、心で強く願ってもなかなか回復しそうにはなかった。...あきらめた...すると突然!!!!
祝・電力復活!!![9/22 20:00]
"やったー!!!!"ついに復活です!さっきまでは”ロウソクの灯りもいいね”、などど震災でありながらのんきなことを考えていましたが、現代文明は素晴らしい!!!!エジソンに感謝です。(我が家のリビングは白熱灯)さっそくテレビを点けると、NHKアジア放送では台湾震災を報道していた。僕らは改めて本災害の重大さ共に怖さを知ることになった。
|
| #018:台湾大震災から1年(その8-その後)[01/Oct/2000] |
災害状況〜復旧
仕事は震災当日のみ休日で、翌22日からは再開となった。自宅ではさほど被害はなかったが、会社は身の回りの品々が散乱していた。僕の座席も例外ではなく、左横にある約2mの高さの本棚が見事に倒れていた。電算機室では床や壁が抜け落ちていた。以下は22日以降の身の回りにおける災害状況。
- 電力:限電措置により新竹地区等を除き断続的な停電。
- 余震:1時間に2回程度、建物がミシミシと音を立てる。
- 家屋:若干のひび割れを確認。
- 水道:電力次第、現時点問題なし
- ガス:不明。大事に至るといけないので使っていない。
- 食料:コンビニが営業中。3日程度は確保済み。
- 交通:車・バスの通行はあるが信号が機能しておらず渋滞。
- 電話:日本からの電話連絡は込み合っており難しい。
災害対応に追われた1週間だったが、大きな2次災害もなく通常の生活に戻ることが出来た。身の回りについては非常に早く復旧したと思う。
|
| #019:台湾大震災から1年(その9-印象深いこと)[02/Oct/2000] |
震災を通して印象深かったこと‥‥
- 台湾人のしたたかさと生命力
震災直後ほとんどの店が閉鎖しているにもかかわらず、コンビニがロウソクの灯りにて営業していた。屋台もいつもと変わらず営業していた。(その数は少なかったが....)とある、中華料理屋さんの店内ではロウソクの灯りにてマージャンを楽しむ(?)人たちがいた。なんと力つよい台湾人。
- 李総統総統の一言
震災直後、日本の首相ならば組織をいかに動かすかということに精一杯でしょう。(自衛隊の派遣や対策本部の設置等)しかし、さらに李総統は国民のリーダとしてメッセージを投げました。”復興のために、力のある人は力を!お金のある人はお金を出してください!”この一言に僕らはカリスマ性を感じました。日本の政治家の皆さん、選挙だけいい顔して、国民に対して面と向かってメッセージを発することを忘れていませんか?
- 日本からの救助隊
震災から48時間以内が生命を救う鍵となります。日本の救助隊はどの国よりも一番乗りして災害救助にあたりました。台北で生活する僕らにとって心あたたまる話でした。1年経った台湾では、震災の記念切手が発行され日本の救助隊員の姿が切手に採用されています。
|
| #020:台湾大震災から1年(その10-災害の心得)[02/Oct/2000] |
台湾再加油
最後に本震災を通して、災害の対応についてまとめたいと思う。
- とにかく冷静に対応する
- 水と食料の確保(3日程度で十分でしょう)
- 灯りを確保する(ロウソクは持続性に優れる)
- 身内で非難場所(出来れば時間も)を決めておく
- 電子メールは有効な連絡手段
1年たった今、台北では震災の爪あとを見ることはほとんどありません。昨年との大きな違いは"今年は震災が無かった"ということとキャッチフレーズが"台湾加油(台湾頑張れ)"から"台湾再加油(台湾再び頑張れ)"に変わったことです。
(以上"台湾大震災から1年"終わり)
|
| [←Prev] [Backnumber] [Next→] |
Copyright(C) taipei@gata.to  |